2009年3月30日月曜日
The Boat Race
ザ・ボートレースなどと呼ぶあたり、いかにも英国的。
例年、この時期に行われるオックスフォードとケンブリッジの伝統の一戦です。
6.7kmのレースを観るために25万人がテムズ川にやって来ます。
うちの前にあるPutney Bridgeがちょうどスタート地点なので、すごい人。すンごい、人。
手前がオックスフォード、奥がケンブリッジ。
今年は重量級選手を揃えたオックスフォードが連覇しました。
1829年に始まったこのレース。 英国人には春の訪れを告げる、愛着のあるイベントなんだと思う。
2009年3月29日日曜日
2009年3月26日木曜日
Sister Golden Hair
All come to look for America!
All come to look for America!!
S&GのAmericaが会場に流れて始まったAmericaのコンサート。
老壮?男女と言いますか、バービカン・センターに集まった観客は年齢層高めです。
4ヶ月くらい前、発売直後くらいに申し込んだのが良かったのかな。 前から3列目!
ヘッドのTaylorの文字が読めそうな距離。 Ventura Highwayのツインリードをまさに目の前で見ちゃったのです。
メンバーの父親は皆イギリス駐留の米軍兵士で、ロンドンの同じ高校で知り合った仲良しグループで結成したらしい。 かれこれ38年前。 なのでAmericaという名前はついていますが、グループが生まれたのはイギリスです。
名前のない馬も、内容は砂漠の歌だけど、実は雨の日のロンドンで アリゾナ、ニューメキシコの砂漠を思い浮かべながら作ったそうです。
このグループ、面白いなぁと思ったのは音楽界での自分たちのポジションをよくわきまえていること。
偉大な先輩たちに憧れ、一ファンとしてその背中を見ながらこれまでやってきたんだと。
けど先輩たちを越えようなんてことは、とても思ってない。
CSN&Y、Byrds 、Beach Boys、Kinks、Mamas&Papas、、本当に好きなんですよねぇ。 ジョージ・マーティンにプロデュースしてもらった時は嬉しくて嬉しくて・・とMCで言ってました。
California DreamingやEleanor Rigbyを楽しそうに演奏してる様子は、われわれ素人と変わらない印象で、ほほ笑ましいくらいです。
75年に1位になったSister Golden Hair。 ジョージのMy Sweet Lordに身震いし、あんなのを作りたいと奮起して出来たそうな。
そういえば12弦のストロークにかぶさるスライドギターのイントロ。
“My Sweet Lordに負けずカッコいいぞー” と声援を送りたくなりました。
一人抜けて2人になりましたが、コーラスは当時のまま。
小遣いを貯めて買ったLP。 わたしもまた、あなたたちAmericaに憧れていたのです。
高一の夏休みに戻った。
2009年3月24日火曜日
2009年3月22日日曜日
Parsley、Sage、Rosemary and Thyme
2009年3月21日土曜日
わがままについて
日本食レストラン。 焼き鳥とか餃子も食べられるラーメン屋。
妙なネーミングからお察しのとおり、日本人の経営ではありません。
Yasai katsu karee
Amai udon
メニューに並ぶ日本の味らしき品々。 “野菜カツ”ってなんでしょう
しかし侮るなかれこのお店。
ロンドン市民が選ぶ “私の好きなレストラン” で、ここ4年間連続1位に輝いてるんです。
このあいだ、某日本食レストランで その店のオーナーの方と話していたのですが、ひとしきりこの ”wagamama” 話で盛り上がりました。
このラーメン屋、日本人の間では評判が芳しくない。 ナゼか。
日本人の手で、国民食ラーメンをイギリスに根付かせられなかった悔しさ。 後ろめたさ。
日本食と呼ぶにはビミョーな味を、イギリス人が “日本の味” と思ってしまうことへの抵抗・・
日本の皆さんがだいたい口を揃えて指摘するのが “お湯に醤油を入れたみたい” なラーメンのスープ。
ダシを取ってないのでは、というのが大方の見方です。
これにはワケがあって、どうもイギリス人は魚にトンコツ、鶏ガラとかの出汁のニオイが苦手らしい。
wagamamaの経営者は、そのへんを見抜いて、「ダシなしラーメンで行こう」と割り切って大当たりしたんですな。
日本人がダシ命!とこだわってロンドンでラーメン屋開いても、流行らないわけだ。
わたしら、日本食のプロはダシなしなんて決断出来ません、とそのオーナーさんは言ってました。
日本食と思って食べなければ、結構イケるんですけどね。
Yasai katsu kareeの雄姿。
福神漬はサラダの中に埋もれている。
2009年3月19日木曜日
2009年3月18日水曜日
St Patrick's Day
17日はアイルランドの聖人パトリックを祝うセントパトリックス・デーでした。
このあいだの日曜日、久しぶりに晴れた週末はパレードあり、ライブありで ロンドン市内は盛り上がりました。
屋台で食べたアイリッシュ・シチューにギネス。 料理の味は、まぁイギリスとどっこいどっこいかな。
今月に入ってIRAによる新たな犠牲者が出るなど、北アイルランド問題は未だ解決に至りません。
カトリックとプロテスタントの対立。 宗教問題であると同時に、経済問題、差別の問題でもあります。
歴史的に長くアイルランドに住んでいたカトリックを追い出すかのように、イングランドからプロテスタントが入植し、差別と格差が始まりました。
少数のプロテスタントが多数のカトリックを支配する構図が続き、アイルランドがイギリスからの独立を勝ち取ったのは20世紀に入ってから。 それでも北アイルランドはイギリスの一部として残りました。
カトリックとプロテスタントでは住む地域も、子供の学校も異なります。 カトリックというだけで職業上の差別を受けることもあった(ある)そうです。
このところの経済苦境が一層の格差と対立を生まなければいいのですが。
アイルランドの国旗は3本の縦縞で、左がカトリックの緑。右がプロテスタントのオレンジ。 真中が両者の融和を願う白です。
トラファルガー広場を埋めた緑の人たちの明るい表情を見ただけでは、重く長い歴史にまで思いを至らすことが出来なかったような気がします。
2009年3月16日月曜日
Beatles Day
ぜーんぶ、ビートルズ。
時々、新聞のクラシファイドに 「あなたが持っているビートルズゆかりの品、高く買います」 という広告が出ます。 さすが、本場だからこそ出せる広告。
そうやって集まった品々の販売会がありました。
All You Need Is Love 収録の舞台裏写真集とか、Cavernやシェア・スタジアムのチケット。 ハリウッドボウルのDVD(そんなのあったんだ!)。
当時の一ファンが一生懸命集めたであろう新聞、雑誌の切り抜きスクラップブックがあったり。 45年くらい前のもので、すっかり変色してましたが。
へぇー、へぇーと一つ一つ感心しながら、しばしどっぷりビートルズ空間に浸ってました。
~~ここから下は、マニアの方だけお読みください~~
(一般の方にとっては、全くどーでもいい話です)
John Lennon / Plastic Ono Band (邦題『ジョンの魂』) は、アルバムとしての評価が高く 私も好きな一枚ですが、ジャケットの写真がとてもいい。
柔らかな光を浴びて木に寄りかかるジョンとヨーコ。
二人の時間が静かに流れているのが、伝わってきます。
この写真、ヨーコが木に寄りかかり、ジョンはヨーコにもたれかかっています。
ところが。。
同じアングルの写真で、ジョンとヨーコが入れ替わっている!ものを発見。
一見同じで、間違い探しのようなこのジャケット、実はヨーコをフィーチャーしたYoko Ono / Plastic Ono Band という名の別のアルバムなんだそうです。 1970年となっていますから、「ジョンの魂」と同じ年です。
(問題の箇所)
これは、珍しいアルバムですねぇ。
はい。 ちょっと高かったけど買いました。
(帰り道、「だって日本では買えないもん・・」と繰り返し自分に言い聞かせた)
2009年3月14日土曜日
エドパック・ブランド
2009年3月13日金曜日
Out on the Weekend
2009年3月10日火曜日
2009年3月8日日曜日
Go East
オリンピックが開催されるのは市の東の部分で、
西側の山の手West Endに較べ、下町マイナー感があります。
わたしも行ったことがない所が多い。
この地域、官民一体となって再開発が進んでまして、
オリンピックまでになんとかこの地域を盛り上げようと、いろんな催しが企画されています。
その一環だと思うのですが、今週は東ロンドンのあちこちでマーケットが立ち、アートなイベントにミニ・コンサート、パフォーマンスが行われてました。
ちょっと肌寒い昨日土曜日、3時間歩いたEast London見物。
いまいち盛り上がりに欠けたところもありましたが、
豚を丸焼きにしながら作ってるポークバーガーはワイルドに旨く、
ロンドンでここだけじゃないでしょうか、ウクレレ専門店を発見し、
突然現れたバングラデシュ専門スーパーで
鍋も作ってたんですかっ!? と驚いてみたり、
最後はなぜか町中の農場にたどり着いて帰って来ました。
東の雰囲気ってちょっと不思議。
2009年3月7日土曜日
2009年3月4日水曜日
みんな行かないで
仕事の立ち寄りがあって、帰りはバスに乗りました。
2階席に座っていたのですが、隣の車線を並んで走っているトラックが なんだかじわじわ寄って来るなぁ、と思ったら突然、衝撃と下の方でバリバリッという音。 ・・やってしまったようです。
こういう事態に遭遇した時、この国らしいなぁと思います。
運転手も20人以上いたであろう乗客も、何も言わず、落ち着いたもんです。
バスが停まってドアが開き、誰も慌てず騒がず、みんな黙ったまま降りてどこかへ行ってしまいました。 アレ?
えーと、、素人考えでも、乗客全員の安全確認、事故の状況説明に通報、振替路線の案内・・
いろいろやるべきことがあると思うのですが。
乗客もあれこれ運転手に質問があるんじゃないでしょうか。
・・・あまりに、あっけない。
わたし、大丈夫。 ここからの乗り換えも自分で探します、自分で出来ますから。
運転手の方も、みなさん、あとは大丈夫ですよね。と
そういう空気がじわぁーっとその場に流れて、気がつくとわたし一人が取り残され、見知らぬ場所で途方に暮れていた、水曜日の夜でした。
運転席横の窓と側面がやられた
2階席に座っていたのですが、隣の車線を並んで走っているトラックが なんだかじわじわ寄って来るなぁ、と思ったら突然、衝撃と下の方でバリバリッという音。 ・・やってしまったようです。
こういう事態に遭遇した時、この国らしいなぁと思います。
運転手も20人以上いたであろう乗客も、何も言わず、落ち着いたもんです。
バスが停まってドアが開き、誰も慌てず騒がず、みんな黙ったまま降りてどこかへ行ってしまいました。 アレ?
えーと、、素人考えでも、乗客全員の安全確認、事故の状況説明に通報、振替路線の案内・・
いろいろやるべきことがあると思うのですが。
乗客もあれこれ運転手に質問があるんじゃないでしょうか。
・・・あまりに、あっけない。
わたし、大丈夫。 ここからの乗り換えも自分で探します、自分で出来ますから。
運転手の方も、みなさん、あとは大丈夫ですよね。と
そういう空気がじわぁーっとその場に流れて、気がつくとわたし一人が取り残され、見知らぬ場所で途方に暮れていた、水曜日の夜でした。
運転席横の窓と側面がやられた
2009年3月3日火曜日
2009年3月1日日曜日
Another day
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